昨日の現場は街の中心部のマンション8階だったが、ベランダに1匹の蝶々が止まっていた。
何とも異様な光景に思えた。
そして自分を見ている様だった。
蝶々は花の蜜を吸いたくて、
探し続けたが花はどこにもなく、
ついにマンションの8階まで飛び続け、
疲れ果てて止まっていたのだろう。
この美しい蝶々までも
人間は排除しようとしている。
人間はこの蝶々と同じ自然な生き物なのに。
都市は一見便利で快適かもしれないが、
全て人間の作ったルールの中に従い、
朝から晩まで働き、疲れて寝る毎日。
気がついたら10年、20年と同じことを繰り返し、最後には病気になって病院で死ぬ運命なのか。
そこに本当の幸せはあるのだろうか。
人間が作り出した社会はバーチャルに近い気がする。現実なのだが、作られた現実だから。
作られた現実の中で生まれて育った子供たちはそのバーチャルを当たり前だと思うかもしれない。
自然は多くのことを教えてくれるのだが、
都会には無いから、綺麗な花を見ることもないし、星空を見て綺麗だと思う感動もない。
今の社会は人間関係の上で全てが成り立っており、誰かが必ず責任を負うことになっている。
気に入らなければクレーム言い、責任を他の人間にとらせれば良い。
クレームにならないためには、人間関係の構築や、より良いサービスを提供する必要がある。
そのため無理も当たり前となり、それでも場合によってはイジメられる。
そのイライラを全く違うところで鬱憤を晴らさないとと、何かとクレームをつけて自分の精神的なバランスを取ろうとする。
ストレスが過剰にかけられた社会が
当たり前で、子供からお年寄りまでそれを普通のことだと思っている。
果たしてそれが、普通と言えるのだろうか。
自然が無くなった社会に
真の幸せは無いかもしれない。
釈迦はそう思い街を離れ、
修行僧になり、悟りを開いた。
今も昔も変わらないのだろう。
私がこの蝶々だったら、
コンクリートではなく、美しい花にとまりたい。