私は洗剤の研究をしています。
洗剤を作るために有効な成分を組成していくのですが、
成分を0.1%入れるだけで洗剤自体がものすごく良くなることがあります。
その成分を入れるか入れないかで洗剤の完成度が全く違います。
その逆も当然あります。
入れるか、入れないか。
早くキレイに取れる成分だけど、
人や環境に影響を及ぼす可能性のある物質は入れない。
少しでも良くなるものは入れる。
そんな感じで地球と相談しながら作るようにしています。
やるか、やらないか。
人や環境を傷つけるような行為はやらない。
自分が出来ることでみんながハッピーになるようなことはやる。
自分が当たり前のようにやっていることは、
他人から見ると、当たり前ではないことがある。
楽しいことを突き詰めると、
その分野でプロになるから、その分野について
やっていない人からすると、
とても輝いてみえると思う。
役割があると思っている。
私は米を作るのが得意です。
私は野菜を作るのが得意です。
私は狩りが得意です。
お肉ください。狩りをしてくれるあなたがいるから、
いつも美味しいお肉もらってありがとうね。
米をください。あなたが米を作ってくれるおかげで
いつも美味しいご飯が食べれます。ありがとうね。
こんな感じで人には役割があって、そのように生きてきたのです。
私、米作るの好きだし、今は自分達の食べれる分だけ作ってるけど、
私の作った米を食べて喜んでくれる人が1人でもいたら、少し多く作って喜んでもらいたいな。
それをやるのか、やらないのか。
それをやれば、必ず米を食べて喜んでくれる人が現れます。
やらなければ、その人に喜びを与えることはできません。
この前もらったお米とても美味しかったわぁ。という評判が町で広がります。
私も欲しいという人が増え、1人喜んでくれたことが100人になりました。
私が作っているお米を
沢山の人に食べてもらいたいという思いが、人を動かし、仲間が10人増え、もっとお米を作ります。
10人が一人当たり100人の人のためにお米を作り、
気がついたら喜んでくれる人が1000人になりました。
最初は1人に喜んでもらったことが、
この仕組みとしては自乗に増えていくようでした。
愛の自乗です。
結果として1000人がハッピーになったことになりなすが、それをやらないという選択肢はどうなのでしょうか。
お米が食べれなくて飢え死にしそうな人もいるでしょう。その中に自分の大切な存在の人がいたとしても?
原爆を落とすより
愛の雫を落とそう。
その愛は自乗で広がる。
アインシュタイン先生はそのようにおっしゃってます。
水面に愛のワンドロップを!