自分が何も理解してないことを、理解し始めたときから、人の成長は始まるのです。
自分のしたいことが、知らず知らずの内に人の役にたっている形になるまで、修行を積む必要があります。
腕と足は違う役割のものです。しかし、足に不具合が生じれば、自然と手がその役割を補うものです。同じように、この社会のどこかで不具合が生じたら、私たちは助けにいかなければなりません。なぜなら、私たちは皆で一つの命を生きている存在だからです。
あなたを傷つける人に出会ったら、忍耐や寛容を覚えるチャンスだと思いなさい。
もし人間の本性が憎しみや人を殺すことにあったのなら、人類はすでに滅亡しているはずです。
あなたの知識を分け与えなさい、そうすれば人に死などないのです。
私の哲学とは、「愛」なのです。
新しいルールを作るためには、今のルールを学ばなければなりません。
愛情とは他人が幸せになることを、願う気持ちなのです。
私たちはこの世界において皆で協力して生きています。だから、どれだけ他人の役に立てるかを、人生の目標にもってこなくてはなりません。
他人を傷つけたり、邪魔をするなどはもってのほかです。
一輪でも花は美しい。でも、花束はもっと美しいでしょう?
私たちの苦しみのほとんどは、私たちが頭の中で生み出しているに過ぎません。
あなたが成功を得るために諦めたもの。これがあなたの成功の価値を示してくれます。
家庭の暖かさは、あなたの暮らしの基盤となります。
最高の人間関係とは、お互いを必要とする気持ちよりも、お互いを愛する気持ちのほうが、上回っているものであることを、忘れないようにしなさい。
変化を恐れない気持ちは大切ですが、自分の価値観を失ってはいけません。
良き人生を生きなさい。そうすれば振り返るたびに、幸福を感じることが出来ます。
人間は停滞してはならない。停滞は一種の死だからである。
あなたが間違いを犯してしまったのなら、即座にその間違いを正しなさい。
苦しみがこの世にあることによって、私たちは喜びを感じることが出来るのです。
宗教が争いの種になるなど、あってはならない事なのです。
どれほど崇高な目標があったとしても、極端な努力をしてしまうと、続かなくなります。
どんな大きな流れも、きっかけは一人の小さな行動から生まれます。
もしあなたが「自分には大したことなど出来ない」と思ってしまったら、それは世界にとって大きな損失となるのです。
何事かに九回失敗したとしても、それでも、九回の結果を生んだではないか。
他人の何千もの欠点に目をつけるより、自分の唯一の欠点に気付くほうが、よほど役に立ちます。
自分の欠点なら、わたしたちは自信をもって、修正できる立場にあるのですから。
自分に親切でなくては、他人にそうあることはできません。
他人に愛情と優しさを感じ、彼らが幸福で苦しまないことを望むには、同じことをまず自分自身に願わねばなりません。
人類はある意味で、地球の子供なのだ。
真の幸せは、心の平安と充足感から生まれるものであり、それは愛他主義、愛情と慈悲心を培い、そして怒り、自己本位、貪欲といったものを、次々と根絶してゆくことによって、獲得できるものです。
わたしたち人間には、愛や思いやりを称えられる能力があります。
このささやかな能力こそ、人間のもっとも大切な天分だとわたしは思うのです。
大きくなるにつれて、愛情、友情、助けあいということに、あまり重きを置かなくなります。
人種、宗教、国籍といったことが大切になってくるのです。
もっとも大切なことを忘れ、どうでもいいことに重きを置くようになります。
哲学にはいろいろありますが、基本的に重要なのは、思いやり、他人への愛、他人の苦しみの気遣い、そして身勝手さの排除でなのです。
思いやりの気持ちは、この世でもっとも重要なものであり、人間のみが持つことができるものです。
優しい心や温かい心を備えていれば、幸せで、満ち足りた状態になれる。
そして、友人たちも友好的で平和な雰囲気を味わえることでしょう。
これは国籍・文化・宗教に関係なく言えることです。
1年に1度は、これまであなたが行ったことのない場所に、行くようにしなさい。
あなたが欲しいものを得られないということは、時として素晴らしい幸運の巡り合わせであることを、忘れてはいけません。
沈黙は時として最高の答えになる、ということを忘れないように。
あなたが勝利を得ることが出来なくても、そこから学んだことまで捨てる必要はないのです。
幸福は思いやりの心から生まれるものであって、怒りや憎しみからは決して生まれることはないのです。
自分のことしか考えない人は、苦しみのうちに人生を終えます。
誰もが生まれつきの敵であったり、友であったわけではありません。「敵」も「友」も、自分が人々とどう接するかで生まれるのです。
自分には出来ないなど考えていたら、どんなことだろうと達成することはないでしょう。自分には出来ないという考えこそが、自分を失敗へ導いてしまうのです。
欲望は、海水を飲むことに似ています。飲めば飲むだけ、喉が渇くのです。
心は、水のようなものです。嵐で乱れれば、底の泥が浮き上がって水は濁ります。しかし、水の本質は汚いものではないのです。