国からの補助を受け、自然な洗剤を作るプロジェクトを今年から本格的に行います。沢山の方々の協力により前に向いて進めることができており感謝しかありません。
洗剤の成分を作るための畑も友人の協力で地域の方からお借りすることができました。自分達には勿体無いくらい立派な畑です。周りは木々で覆われており、とても気持ちの良い場所です。
偶然にも洗剤を作る店舗の目の前にあり
歩いて畑まで行けるというミラクル。
店舗にはツバメが巣を作っており、畑に行くとそのツバメが自由に飛んで、エサを捕まえて巣に戻っていく姿。
私たちもツバメと同じようなことをしていくのだなと思いを重ね、自然の偉大さを改めて感じました。
ツバメと人間の差は何なのかを少し考えました。
ツバメはまず、自然なものでしか巣を作りません。それ以上のものも求めませんよね。
ひなが心配だから土とか藁とかじゃなくてコンクリートにしようとかならないですよね。
一方、人間は今よりもより良い欲求を求めてしまいます。例えそれが自然の摂理に反していたとしてもです。
そして都会は自然を失い、コンクリートジャングルになってしまいました。もはや人間は自然の循環の中にはおらず、環境問題というキーワードがでてきている時点で、自然と人間は分断されているという証とも言えます。私は清掃業をやっていますが、今まで清掃してきたほとんどのものは人間が作り出した人工物です。
人間は人工的な社会に馴染んだように見えますが、自然に生まれてきた動物であり、本能的に自然に触れ合いたいと思っています。都会の人が週末にキャンプするように、休暇があれば温泉に行ったりして、自然を満喫するでしょう。
そうやってバランスをとっていかないと、やっていけない。それが今の作られた人工的な社会なのです。自然を失ったことにより考える全ての対象が人工的なものになってしまいました。
沢山の情報と処理による時間。嫌な人とも上手く付き合っていかないといけない人間関係。
何とも生き難い世の中になっているようです。 自分の存在が分からなくなり、自分探しをして、自分はこうです!とみんなに伝えなければならない欧米的な発想を持たないと取り残されそうになります。
常識に囚われ、こうですとなったものは全て同じというくくりになる社会。
私たちも今回のプロジェクトを一時期都会で進めようと考え行動していましたが、何ともドライで、規則的な括りでしか判断してもらえず、八方塞がりになってしまった時がありました。
これだけ人口の多い地域では致し方無いのかと思いますが、都会ではそのルールの元で行動しないといけないという制限が大きくのしかかっています。都会でやろうと思ったのも、単純に近くて効率性を考えた結果であり、この考え方は間違っていたとやっとそこで分かりました。
自然な洗剤を作ろうとしていたのに、都会で効率よくという発想自体を持ってしまったことに人間の強い欲望を感じました。
自然が全てを教えてくれる。
その通りすれば良いと。
それ以上を求めないと。
それもありだという常識を
人間にももってもらうこと。
そうすると1%は良くなると思って
行動していきます。