難病と共に生きる選択
鳥取県からマジオキに加盟されたNさんのお話
Nさんは難病を患っています。
病名は大腿骨壊死症
骨盤の中にある足の付け根の骨が壊死する病気です。現在55歳のNさん。発症したのは40歳の時でした。原因はステロイド。原因不明の蕁麻疹が出て、それを抑える為にステロイドを使用したことで発症したと思われます。
運動大好きで足も速かった
昔から体を動かすことが得意だったNさん。足も速くてスポーツ万能でした。しかし難病を患ってからは激痛との戦いで、歩くことさえもままならない状態になってしまいました。Nさんは次第に心を塞ぐ様になります。
考え方が変わったティオマン島
マレーシアに出張が多かったNさん。難病を患ってからも定期的に。そんなマレーシアでの週末に会社の人達とリゾート島のティオマンに行くことになりました。 Nさんは気が乗らず拒否をしたのですが、半ば無理やり連れていかれるハメに。
島についたNさんは「足も痛いし泳ぐ事もできないだろう。楽しみで来ている会社の人達にサポートしてもらうのも申し訳ない」と思っていました。
会社のメンバーは水着を来て海に向かって走りだします。
こんな足では到底泳ぐことはできないと思っていたNさんでしたが、みんなの説得で海に入ることになります。
Nさんは水着を着て、海に入りました。
ゆっくり水に浸かって遠浅の海を少しずつ沖に。
すると、足は思うように動かせませんが、手は自由に動かせました。その時にNさんは気付きました。
「足は思うよに動かないけど、手は動かせれる。
自分なりに泳いで見ようか。」
Nさんはそう思って少し沖に出て泳いでみたところ手を上手く使って泳ぐことができたのです。
Nさんは思いました。
「今まで普通にできていたことが急にできなくなったけど、型はどうであれ、自分なりに変えてやれば何事も何とかなるではないか。」
今まで塞ぎ込んでいた心が一気に晴れた瞬間でした。その日の夜ナイトバーで同僚と飲んだ時に今日の事を話しました。元々仲の良い同僚はみんな涙を浮かべて喜んでくれたそうです。
自分の生き方を求めて起業
その後15年間会社勤めをし、部署移動の時点で新たな生き方を求めたNさんはハウスクリーニングで起業を考えるようになりました。理由としては元々掃除が好きだったことと、地元地域の人達に助けになることがしたいという気持ちからでした。
ハウスクリーニングは体が資本。体力もいるし、様々な体制になるのでその辺が今のNさんにできるだろうか。これは私の率直な感想でした。
しかし、ティオマン島での気付き以来、何でもやってみるという考えで今まで沢山の経験をしてきたNさんには「自分でも出来るだろう」という明確な光が差していたようです。
いざ研修!独自のスタイルで
マジ起に加盟し、いよいよ研修が始まりました。Nさんは通常の脚立に乗ることが出来ませんが、横から乗って体を支える脚立なら行けるだろうとそのタイプの脚立を購入します。
こちらの脚立を使用することで高いところも安全に作業することが可能になりました。
かがむのが難しいNさん。膝から曲げて床などは膝をついてなら可能でした。 膝にクッションサポーターを付け、水も使うので下に撥水性のズボンを履く事で解決です。カバーできました!
研修はスムーズに進み、みんなと同じ項目をこなし、最初の掃除機をかけるところから、エアコン洗浄、レンジフード、お風呂、床洗浄、Wax、など全て出来るようになりました。
おそうじし太郎で起業
Nさんはハウスクリーニングを覚え起業しました。会社名は「おそうじし太郎」。
太郎はお爺さんの名前だそうです。とても良い会社名です。
研修終了後には名古屋の熱田神宮へ健康と商売繁盛を祈願するため参拝しました。
これで準備バッチリ!この後は名刺の作成、ホームページの作成、営業のサポート、技術サポートなどを手掛け、スムーズに開業できるように寄り添っていきます。
やれば出来る。生き方の選択
Nさんが、ハウスクリーニングで起業しようと思ったのは生き方の選択だそうです。
「やりたいと思ったことはやりたい」という考え方がまずあって、先に出来ないは考えない。
ティオマン島以来、そう生きてきて、自分のスタイルで沢山のことを経験されてきたNさんらしいお言葉です。そして今回Nさんは大腿骨壊死症で足を引きずりながらも独自のスタイルでハウスクリーニングの知識を身につけ、満を辞して起業することになりました。「やればできる」を目の前で再現してくださりました。
最後に
この記事はマジ起の代表である私がNさんに取っても、またこれから何かを始めようとする方にも、難病を患っている方にも、Nさんのことを発信することで良いことがあるのではと思い、了承の元で書かさせて頂きました。Nさんありがとうございます!
この記事が皆様にとって前向きな考え方となり、良い生き方の選択ができるよう願っております。